乙字ケ滝
【 日本の滝百選 】
福島県 玉川村 ・ 須賀川市
日本の滝百選 落差は6m 幅100m、水量は適度 な感じ。
阿武隈川本流にあり落差は小さいですが、水煙が上がる程の豊富な水量、更に幅があるため文句なしの規模です。
ところが率直な印象として、滝の本質要素は満たしており見応えは感じるものの、
ビミョ〜 な雰囲気が先行する複雑な心境で、何かスッキリしない。
これが小規模な滝であれば気になりませんが、雲一つないスッキリとした青空で抜群の天気、
そしてここは 日本の滝百選 であり規模は十分なレベル、どうしても納得がいかず右岸側の上流や下流をウロチョロ。
しばらく眺めるも ビミョ〜 な印象になる決定的な原因が見つからず、
赤い橋上から見下ろしてみたり、対岸に渡り左岸下流部から観照してみたり。
結果的に滞在時間を大幅延長、それも滝を愉しむためというよりも、 ビミョ〜 な印象の原因探索、
結論として、私の中で ビミョ〜 な印象の原因となる 3要素の全てが複合的に影響 しているようで・・・。
三要素とは ①本質的 ②違和感 ③ギャップ ( 詳細は 滝巡りの話 第16話 参照 )
① 落差6mは (見応え的に) 物足りない
② 水質 ( 訪問時の水の透明度が低く、お世辞にもキレイとは言えない )
③ 百選滝に対する 期待値 と 実際 との マイナス差異
②については他にもありますが、やはり 水質 は非常に大事な要素、
もし 透明度の高い水 が流れていたら大分印象が変わる? ような気がします。
マイナス要素が色濃くなりましたが、滝の水量は豊富で一定以上の見応えは間違いなくありますし、古くから人との繋がりが深い歴史ある滝、 松尾芭蕉が句を残していることからも 日本の滝百選 に選ばれた 何か は存在しているのだと思います。
ただ、残念ながら私にはその 何か を見つけることはできませんでした。
滝は常に変化 しているもの、今後どのような姿に変わっていくのでしょうか・・・。
余談ですが、この滝は阿武隈川本流にあり川の中心部が境界、玉川村と須賀川市に跨っており、訪問時の水量だと滝の大部分が 玉川村 領域、隣接する公園も玉川村側に整備されています。
【 現地案内板より 1 】
古くは竜崎滝・石川滝とも称した。
川幅百米・巨巌横に連なり乙字の形をなす。
川の中央を玉川村と須賀川市の境界とする。
江戸時代白川藩領の頃、遠く海より遡上した鮭、鱒、鮎が滝を飛び跳ねるうちに梁に落下する魚が多かった。
多い日には一日千尾を越える程でこれの売却代は漁猟者の収入となった。
また、ここでとれた初漁は白河藩主に献上することとされ、藩役人がこの辺に番所をおき看視した。
この役人の食事、宿泊など賄は一切地元竜崎村が負担した。
そのかわりに藩に納入する雑税人夫役などは免除された。
<< 玉川村教育委員会 >>
【 現地案内板より 2 】
那須高原に源を発する阿武隈川が滝をなして乙字の形をしている。
水嵩が増したと時は百メートルの滝幅いっぱいに落下する水しぶきは、松の緑に映えて雄大である。
元禄二年(1689年)松尾芭蕉が 「 五月雨の滝降りうづむ水かさ哉 」 の句を残し、句碑は滝見不動堂の傍に建っている。
昔は川を遡る鱒・鮎・鮭を城主に献上する御用梁場であり、また、阿武隈川舟運のため滝の北壁を掘りして舟を通した跡がある。
上流には慶長十年(1605年)会津蒲生領時代がらの浜田用水の横断堰があり、明治三十九年(1905年)より水力発電にも利用される。
北岸の乙字ケ滝遺跡より、旧石器時代の石斧等が出土した。
<< 須賀川市 >>
【 現地警告板より 】
注 意
乙字橋より下流1,500米区間は弾薬が埋れていると推定されるので 危険 です。
1. 土石の採取は 禁止 します。
2. 一般の人の立入についても厳重に注意してください。
<< 国土交通省 福島河川国道事務所 郡山出張所 >>
【 アクセス等 】
国道118号線から少し外れた場所にあり、専用駐車場完備
周辺は公園として整備されており、誰もが装いに関係なく気軽に楽しめます ♪
駐車場 【 マップコード 61 287 219*23 】