龍馬の滝

茨城県の滝・大子町

龍馬の滝

 「りょうま」ではなく「りゅうめ」と読みます。
 さて、はっきり申し上げると、見応えある滝とは言い難いです。画像では少し大きく見えますが、実際はかなり小規模な滝です。
 水量はまぁ・・・落差は・・・2m位?、水は綺麗ですね。ただ、伝説ある滝ということで規模とは関係なく重みのある滝なのでしょう。

【 アクセス 等】

 国道118号線 下野宮から北西に伸びる県道28号線をひたすらまっすぐ進むと、右側にあります。
 専用駐車場があり2.3台停めることが出来、看板もありますし道路沿いなので、特に迷う事はないと思います。
 国道118号線からは幅の広い道で、舗装されていますのでセダン車で問題ありません。
 駐車場からは数秒で滝壺へ

【 看板より 】

八溝山内名勝 龍馬の滝

◎ 那須与一

 源氏の武将として、良く知られている那須与一は下野の国の出身。
源平の合戦のとき、揺れる小船の上の扇を見事射抜いた事で、よく知られています。

 ◎龍馬の滝

 那須与一の愛馬は鵜黒(うぐろ)という名でした。
 龍馬の滝には、この馬にまつわる伝説があります。
 ここ新田地区の民家で鵜黒は生まれ、源平の合戦が終わった後、龍馬の滝に住んでいました。
 そのうち、「滝の中にばかりいては世間の事がわからなくなる!世の中を見てこよう。」と思い立って水戸に向かって出かけたのです。
 ところが舟生の辺りまで行ったところで、体の具合が悪くなり、戻ってくる途中、袋田のあたりで死んでしまったと言い伝えられています。

 しかし、これと全く違う伝説もあります。それはこんなお話です。
 昔、この滝に一頭の雌馬が住んでいました。そこへ一羽の鵜が、毎日遊びに来ていたのですが、そのうちこの雌馬がみごもり、生まれたのが鵜黒であるというのです。
 鵜黒には一羽の鵜鳥がいつも付き添っていました。
 源平の合戦が終わって、与一が鵜黒に乗って戻ってくる途中、久慈川沿いに上小川のあたりまでくると、急に鵜黒が倒れて死んでしまったそうです。
 するとそれまで一緒についてきた鵜鳥は向きをかえてもと来たほうへ飛び去ってしまったという事です。

【  ◎名馬の里 大子町 】

 大子町はかつて保内馬産地として名を成しており、水戸藩も場産奨励につとめた程でした。この新田地区にも名馬の産出が多く、こうしたことから鵜黒の伝説も生まれたのでしょう。


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